
過激なことを言う理由
「セキセイインコなんて飼うな!」
そんな過激な言葉をブログに書いた日、僕は眠れなかった。あまりにも強い言い方だったと思う。でも、それには理由がある。
命って、そんなに軽く扱っていいものじゃないんだ。
あるあるエピソード:名前すらつけてもらえなかったインコ
あるとき、近所のホームセンターでセキセイインコを「衝動買い」した人の話を聞いた。
「子どもが欲しがったから買ったの。でも世話できないから、ケージの中にずっと入れっぱなし」
その子は名前もつけてもらえず、紙くずのように無言で生き、やがて死んでいった。
この話、本当にあった話なんです。
なぜ、過激な言葉になってしまったのか
言葉を選ばず書いたあの日。心の中には怒りがあった。「無責任な人に飼ってほしくない」という想いだけでなく、
「セキセイインコがかわいそうなんだよ…」という、やり場のない悲しみがあった。
僕自身も、昔踏みつけてしまって失った命がある。だから偉そうなことは言えない。けれど、その後たくさん学び、たくさんの命と向き合ってきた。
だからこそ、もう誰にもそんな悲しい思いをしてほしくない。
セキセイインコはロボットじゃない
「おしゃべりするから可愛い」
「インスタ映えするから飼いたい」
そんな軽い理由で、命を迎えないでほしい。セキセイインコは喜怒哀楽があって、嫉妬もするし、甘えん坊にもなる。ロボットでもAIでもなく、心ある生き物なんです。
フィクションエピソード:泣きながら土に埋めたあの日
10年前、ある青年がセキセイインコを初めて飼った。
慣れてきた頃、ケージから出したインコが床に舞い降りたその瞬間、青年はスマホに夢中で足を動かし…
「ごめん…ほんとに…ごめん…」
土に埋めるとき、泣きながら名前を何度も呼んだ。
その日から彼は変わった。生き物を飼うという責任を、自分の人生で一番大事なことにした。
命を預かるということ
どんなに言葉が過激でも、伝えたい想いは一つだけ。生き物を飼うということは、その命の責任を最後まで持つということ。
できないなら、飼わなくていい。
むしろ、飼わないほうがセキセイインコにとって幸せかもしれない。
でも、もし本気で向き合えるなら、彼らはあなたに笑顔と癒しと、時に涙をもくれるでしょう。
まとめ:後悔を繰り返さないために
過去に僕も失敗をした。だからこそ言いたい。
命を迎えることに、「ちょっとだけ」の覚悟では足りない。
でも、過ちを繰り返さなければ、命はまた輝いてくれる。それを今、目の前のセキセイインコたちが教えてくれている。
関連リンク
参考にしたYahoo!知恵袋の投稿はこちら:
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10250258745